晴海フラッグ(選手村)が建築されるているのは月島4号地と呼ばれていた人工島です。
晴海を良くする会を参照すると、明治初期〜昭和6年(〜1931)に約76haの埋立で生まれて、帝国陸海軍の港湾施設や進駐軍の飛行場として占有され。
返還後の昭和34年から昭和41年(1959-1966)に約106haまで拡張、晴海展示会場や晴海埠頭などとして利用されて来ました。
それらは徐々に有明の東京ビッグサイトや青海の東京国際クルーズターミナルに移転、選手村として一時利用された後は広域公共施設として中央清掃工場(ゴミ焼却場)を残し、主に居住区となります。
人工島の過去を振り返ると、2011年の新浦安の液状化被害や2018年の南芦屋浜の高潮被害など、居住区でも被災しています。
上記居住区の浸水は想定されておらず、人工島の歴史は浅いため安心出来る実績はまだ無いと言えます。
歴史的な視点では、原発被災を逃れた東北電力と、歴史を無視した東京電力を比較すると、人災的な側面が見えて来ます。
居住区の津波被害も同様かも知れません。
上記文章は下記を参照させて頂きました。
晴海フラッグは価格設定の割安度合いと、安全・安心の程度を勘案して判断したいと考えます。