江戸時代の上屋敷の小石川後楽園は都心になり、別邸が有った吉祥寺など武蔵野も住宅が隙間なく建設され、既に逗子などの海沿いの別荘地も随分前から市街地です。
そんな事を考えていたら蓼科など近代高原リゾート地の始まりに関する1986年の論文に目が止まりました。
その後の明治・大正からのリゾート地の軽井沢や箱根及び熱海などは列車の便が良く政財界人の別荘地であったため電話の普及が早かった代わりに、乗用車の普及以前に発展したため道幅が狭く中心部に密集した感じが有ります。
近代の高原リゾートの山中湖や八ヶ岳及び野尻湖などは乗用車で庶民が乗用車で来る時代に開発されたため駐車場が広々としています。
別の2015年の論文では住宅や工業及び農地に適さない森林が林業衰退後に近代リゾート大規模開発につながったとの説明があります。
具体例として東京圏では富士山や浅間山と八ヶ岳及び蓼科山が例に挙げられており、ご存知の通り山梨県から長野県にかけての一帯に近代高原リゾートが広がっています。
農地に不向きという背景があるので、標高1000mの火山山麓の森林が主で、田舎であっても農村に多いハエを見かけません。
八ヶ岳は宿場・温泉宿や鉄道駅を核にした戦前からのリゾート地とは生い立ちが違いますが、5/13開店予定の富岡バイパス沿いのスタバを見ていると、駅から離れた近代高原別荘地の近隣にも商業施設の拡充は続きそうです。
記事と関係有りませんが、きょう信号待ちでドラえもんのお地蔵さんを見かけました。